◆所蔵品から◆資料ナンバー7277 伊勢神宮へ修学旅行 の話 資料班 



 
「参宮之栞」

「参宮之栞」表紙

 今回の資料は、修学旅行のしおりです。
 しおりの表紙には、「昭和十七年十月」「参宮之栞」「瑞穂國民学校」の文字があります。イラストは鏡と首飾り(?)と剣で、三種の神器でしょうか。
 行き先は伊勢神宮。そのあと朝熊山に登って、二見(夫婦岩のあるところ)で1泊。翌朝橿原(かしはら)神宮へ行って、お昼からは奈良を見学、というコースです。
 わら半紙に青色のインクで印刷されています。
 表紙のサイズは10.5cm×14.5cmで、 中身は33.5cm×25.5cmの紙(B4サイズか、少し小さい)が表紙に収まるように折りたたまれています。

日程表

日程表 1日目 

 表紙の裏が日程表です。「女子班」と書いてあります。男女で行先や日程が違っていたようです。日帰りの日程の人もあった、と、寄贈を受けた時の情報カードには書かれています。

日程表

日程表 2日目

 10月30日・31日の2日間の旅行です。昭和17年、1942年のカレンダーを見ると、30・31日は、金曜・土曜になります。
 1日目の朝は6時半集合。2日目は5時起床。すごい早起き、と思ってしまいました。二見に泊まって、夫婦岩の朝日を見るために5時起きなのかもしれません。

沿線案内圖

「沿線案内圖」上:全体 中:名古屋付近 下:宇治山田駅付近

 最初のページが「沿線案内圖」
 名古屋から、中川駅で枝分かれして、宇治山田駅(神宮はこの近く)まで。翌日は中川まで戻って、八木駅で乗り換え、畝傍御陵前・橿原方面へ。折り返して、八木を通ってさらに北上し、西大寺で乗り換えて、奈良へ、というルートが、赤線で示されています。乗り換え時刻や到着時刻も、鉛筆で書きこまれています。
 八木駅で乗り換えて、ということは、近鉄電車でしょうか。当時は関西急行鉄道。略して関急。しおりの中にも、「関急奈良(駅)」とか、「名古屋関急駅」という言葉が使われています。

宇治山田市ヲ中心トスル鳥瞰図

「宇治山田市ヲ中心トスル鳥瞰図」

 次は、「宇治山田市ヲ中心トスル鳥瞰図」。伊勢神宮と朝熊山と宿泊地の二見の周辺の地図、というか鳥瞰図です。外宮と内宮の案内図も載っています。

外宮・内宮・夫婦岩・朝熊山

外宮・内宮・夫婦岩・朝熊山

 3枚目は、外宮・内宮・夫婦岩・朝熊山の解説です。
 外宮と内宮のそれぞれの説明や、建物の作り(御構造)の違いの解説があります。
 内宮のほうに、「昭和四年に御遷宮あり」と書いてあります。今年(2013年)に遷宮があるということは、戦後の最初の遷宮は今から60年前の1953年、昭和28年になります。戦争の影響で昭和24年には間に合わない、ということで何年かずれたらしいのです。
 夫婦岩については、「両岸の間より踊り出づる紅の旭光を仰げば荘厳さ筆舌につくしがたし」、朝熊山は、「風光佳絶 眼下に十八州を一望すべし」と書かれています。

橿原略図・奈良略図

「橿原略図・奈良略図」

 最後の1枚は、「橿原(かしはら)略図・奈良略図」
 橿原では、畝傍御陵前(うねびごりょうまえ)駅で降りて神武天皇陵にお参りをして、橿原神宮まで歩いて、橿原神宮駅から電車に乗る。
 奈良では、東大寺(南大門・大鐘・一月堂・二月堂)(一月堂・二月堂と書いてありますが二月堂・三月堂かも)⇒手向山八幡宮⇒春日大社(二ノ鳥居・一ノ鳥居)⇒帝室博物館(今の奈良国立博物館)⇒興福寺(五重塔)⇒猿澤池、と、まわるみたい。(逆回りかもしれません)
 今の近鉄奈良駅は、「関急奈良」駅、と書かれています。

詳しい画像はこちらからどうぞ。鉄道路線図があるので、電車の好きな方が見ても楽しいかもしれません。神宮についての説明も読めます。
http://www.peace-aichi.com/20130921_shuugakuryokou.pdf

ピースあいちウェブサイトの、所蔵品の紹介のページからは、「所蔵品から」バックナンバーの関連画像が見られます。よかったらこちらもどうぞ。
http://www.peace-aichi.com/05_objects.html